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買い食い [記憶]

今日は妻が朝から外出していたので、近くのラーメン屋さんで昼食を済ませました。熱いラーメンを汗をかきかき食べた後には冷たいものが欲しくなります
コンビニでアイスクリーム買って、食べながら家へ帰りました。熱くキツい日差しの中、アイスクリームの冷たさと甘さが程よくクチのかかに広がってきます。
ふと思いました。

「これは、買い食いだな」

「買い食い」という言葉が頭に浮かんで、ココロにちくりと痛みがさして、なんだか急に可笑しさがこみ上げてきました。

最近の子どもは「買い食い」という言葉を使うのでしょうか?
ワタクシの解釈では、「外(駄菓子屋さんなど)で買った御菓子を、持ち帰らずにそのまま外(歩きながらにしろ公園にしろ)でたべること」を「買い食い」としていました。
ワタクシの親はこの「買い食い」を固く禁止していました。
何故、ワタクシの親が「買い食い」を禁止していたのか、明確な理由を思い出せません。

お行儀が悪いから?
衛生面を考慮して?

得てして、子どもは親から課せられたこういう禁止事項を破りたくなるものです。
増してや「買い食い」は魅惑的な行為であったことは間違いありません。
駄菓子屋さんで買ったアイスや麩菓子、都昆布…を友だちと遊びながら食べること。限られたお小遣いの中から自分の気に入ったお菓子を選ぶ歓び。
あたり付きのお菓子を買った時のワクワク感。

バレれば怒られること必至のこの行為をワタクシは(ワタクシたちは)ちょっぴりドキドキしながら繰り返していました。

この頃、親から禁止されていた事項は他にもありました。
子どもたちだけで吉祥寺の繁華街にでないこと(不良に絡まれる?)
勝手に漫画本を買わないこと(意味不明)
などなど・・・


時が経ち、大人になって「買い食い」をしても誰からも咎められなくなりました。
お小遣いの残りを気にしなくてもそれくらいの買い物が出来るくらいは稼げるようになりました。
それでも、アイスクリームを食べながら「買い食い」という言葉を思い浮かべてココロがちくりと痛んだような気がしたのは何故なのでしょうか?

夏のキツい日差しの中、歩きながら食べたアイスクリームは口の中に甘く広がりましたが、ほんのちょっぴりチクリと心が痛んで自分の両親のことを思い出しました。

元気にしているだろうか。

暑い日々が続きます。皆さんもアイスクリームを「買い食い」して楽しく夏を乗り切りましょう



では、また





(追記)
この記事を書いてからしばらくして、母から久しぶりに電話がありました

「あんた、買い食いしたんじゃないでしょうね」…

とはいわれませんでしたが
このタイミング、不思議ですよねー

のりべん [記憶]

今日から5月です。
そしてゴールデンウィークが始まりました。
体を絞って、本よんで、映画観て、展覧会観て…そんな感じの5日間にしようと思っています。

さて。
ワタクシはときどきお弁当屋さんの「のり弁当」を食します。
そう、お弁当屋さんのメニューの中でも一番安いメニューのひとつ。
ご飯の上に海苔をのせて、おかずは白身魚のフライとちくわ天、卵焼き、鳥の唐揚げがそれぞれひとつづつ。そんなシンプルなお弁当です。

カロリー高め、栄養価は低め。
でも、安い割にはお腹もいっぱいになって経済効果は抜群です

先日もやはり「のり弁」を購入して食べていたら、ふと寂しさがわいてきました。
自分の貧しさに…ではありません。
中学、高校のときに母が作ってくれたのり弁はこんなものではなかった…という思いです。

大食いであったワタクシはアルミの大きなお弁当箱(所謂「どかべん」)とおかず用のお弁当箱2つを持って登校していました。
母が作るのり弁はこの「どかべん」の中で素敵なハーモニーを奏でていたのです。
まずは第一層。ご飯をまんべんなく「どかべん」一杯に敷き詰めます。その上にうっすらと鰹節を散りばめ、さらに海苔を目一杯敷き詰めます。
第二層。さらにその上にご飯を第一層とおなじくらい敷き詰め、鰹節、海苔を目一杯。
第三層。同じようにご飯、鰹節、海苔…以上。
「どかべん」に目一杯詰め込まれたのり弁の完成です

三層のご飯と鰹節と海苔の奏でるハーモニーはまさに絶妙でした。
お昼になってお弁当箱を開けると、しっとりと湿った海苔の優しい香りとご飯の豊かな香りがフンワリと漂ってきました。大抵の場合、最上部の海苔はお弁当の蓋に貼り付いていましたが…

とにかく、そんな「のり弁」をたらふく食べて、ワタクシは大きくなりました。
いくら食べても食べ足りなかったことを憶えています。

そんな母の作ったのり弁に比べて、お弁当屋さんで買ってきた目の前ののり弁の何と貧弱なことか…
懐かしさとともに大きなお弁当箱で「のり弁」をがっついていたあの頃のワタクシが急に羨ましくなりました。あの「のり弁」をもう一度食べてみたいです。

そうだ。このゴールデンウィーク中、一度は老父母に顔を見せてくるか。
正月以来、会っていないからな

お弁当を食べながら 菅野よう子 & 清浦夏実





皆様、良い休日をお過ごし下さい

セールスマンズ・ロンリネス [記憶]

あの頃ボクは出来ない営業マンで

毎日をどう過ごしていいのかわからなくて

毎日会社を営業車ででては

銀座中央通り沿いのマクドナルドで時間をつぶしていた

目標もなく

どうしたいのかもわからず

なんとなく

ただなんとなく

マクドナルドの椅子に座っていた

ぼんやりと

ただぼんやりと

そこに佇んでいた

あの頃のボクは一体何をしたかったのか

学校を卒業してから数年が経っていた

働き始めた

忙しい日々が続いた

夜11時まで働いてそれから仲間と酒を飲んだ

したたかに飲んで

お店を出るのは朝の3時を過ぎていた

翌朝はボロボロになりながら出勤した

それでいいと思っていた


あのときのボクはボクだったんだろうか


マクドナルドに佇んで


過ぎる時間をみつめていたあのころ







数年が経った

ボクは転職していた

マクドナルドで時間をつぶすこともなくなっていた

山下達郎さんのアルバム「COZY」

「セールスマンズ・ロンリネス」という曲に出会った

突然

あの頃の風景が

あの頃の空気が

あの頃のボクが

甦ってきた

ボクにはあんな時があったんだ

目標もなく

どうしたいのかもわからず

なんとなく

ただなんとなく

マクドナルドの椅子に座っていた


そうだ


まぎれもなくあのときのボクはボクだったんだ




山下達郎 セールスマンズ・ロンリネス




マクドナルドに行ったら、ふとあの頃のことを想い出してしまいました。

今日も寒かったですね。
暖かくしておやすみなさい

ビートルズとおじいちゃん [記憶]

ワタクシには現役で活躍していた頃のビートルズの記憶はほとんどありません。
うすぼんやりと「ビートルズ」というグループ(「バンド」という単語はその頃のワタクシのボキャブラリーには無かったのです)があって、父母が言うところの「騒々しい」音楽を演奏しているお兄さんたちがいる位の印象しかありませんでした。
ワタクシはむしろ、当時TVで30分のコント番組みたいなものをやっていた「モンキーズ」というバンドの方に親しみを覚えていました。

Monkees Theme




ワタクシがまだ小学生だったある日のこと。「ビートルズが解散したらしい」というニュースをワタクシと父母に知らせにきたのは祖父でした。「驚いた」ワタクシたち親子はすぐに祖父母の暮らす居間(そこにはカラーTVがあったのです)に行き、TVのニュース番組が報じる「ビートルス解散」の知らせに見入っていました。

祖父母も父母も「ビートルズ」に興味があったとは思えません。むしろ、当時の多くの「大人」がそうしていたように眉をひそめる存在であったように思えます。
しかし、そんなことを超えて、ビートルズの解散はワタクシたちの家族に不思議なインパクトを与えたのです。何故でしょうか?不思議です。

だからワタクシにとってビートルズの記憶はそのまま祖父の思い出と重なっています。



ビートルズに関してはもう一つ記憶があります。
それは一本のTVドラマ。これを観たのもワタクシが小学生の時だったと思います。タイトルも主演の俳優も忘れてしまいましたが、唯一、笠智衆さんが出演されていたような気がします。
笠智衆さん演じる「おじいちゃん」にはバイクとビートルズを愛する孫(Aくんとでも呼びましょう)がいました。
Aくんの両親はバイクにもビートルズにも理解を示してくれません。頭ごなしに「不良のやることだ」、「やめろ」というばかり。そんな中、おじいちゃんはビートルズを何度も何度も聴き、ついにはバイクにも乗り始めます。和服姿でバイクにまたがって颯爽と夜の街を疾走する笠智衆さんの姿が印象的でした。

場面は一転、お葬式の場面に転換します。おじいちゃんが亡くなったのです。
しめやかに、物悲しく営まれる葬儀。僧侶の読経が流れる居間に、突然、大音響でビートルズの「Let it be」が流れ始めます。色めき立つ大人たち。ビートルズは2階のAくんの部屋から流れてきています。
激怒した父親がAくんの部屋に駆け込み「何をやっているんだ」と怒鳴りつけた瞬間、息をのみました。
Aくんがベットの上に突っ伏して号泣していたのです…


ビートルズの解散から40年近くの歳月が流れ、ビートルズの解散をもたらした祖父も、ドラマの主演を演じた笠智衆さんもこの世にはいません。ビートルズのメンバーだったジョンも、ジョージもすでに鬼籍に入っています。
最近、ビートルズのCDが再発売になり、再びビートルズのジャケットを手に取って思い出したのは、そんな優しきおじいちゃんたちの姿でした。

今になり、無限のそして無償の愛情をそそいでくれた祖父の姿が不思議とワタクシの中でビートルズの音楽とオーバーラップしてくるのです


The Beatles   Let it be




では、また

いちご大福顛末記 [記憶]

先日、学生時代の先輩Hさんとお酒を飲んでいて、久しぶりに呼び起こされた記憶がありました。

ワタクシが大学を卒業する年の冬、ワタクシと、H先輩と同期のSさんは福島県のT町にあるHさんの実家を訪ねました。Hさんは既に帰省しており、ワタクシたちを迎えてくれました。
とても暖かいご家族で、美味しいご馳走などでワタクシたちをもてなして下さいました。

そして、某放送局の福島支局に就職したU先輩が加わり、盛大な酒盛りが始まりました。
ワタクシたちはおいしいお酒と肴に酔いしれて、かなりいい感じで酔っぱらい、先輩の実家のベランダで大騒ぎをしていたのを憶えています

田舎の街の一軒家とはいえ、かなりの近所迷惑であったことが予想され、今思うと常識はずれの行動であったと冷や汗の出る思いです。
もちろん、H先輩のご家族にとっても相当な迷惑であったろうことが想像できます。

そうして、ワタクシたちは大騒ぎをして一夜を過ごし、翌朝、T町を後にしました。


さて、実はワタクシはこの時、手土産に「いちご大福」を持参してH先輩のお母様に差し上げたのだそうです。さすがに先日H先輩から聞くまで、「いちご大福」をお土産に持って行ったことなど忘れていましたが。
おそらく、この当時いちご大福は出回り始めたばかりで、地方の方に喜ばれるだろうと、持参したのだと思います。

ワタクシたちが大騒ぎをして帰った後、H先輩のお母様はお隣に住むご家族にその「いちご大福」をお裾分けで持って行ったのだそうです。おそらく、大騒ぎをして、近所迷惑をかけたお詫びをかねてのことだと思います

実はそのお隣さんはお菓子屋さんを営んでおられました。

おそらく、そのお隣さんは初めて見る東京土産の御菓子に目を丸くしたのだと思います。

「なんじゃこりゃしかも美味いっ

商売熱心なそのお隣さんのお菓子屋さんは研究に研究を重ね、ついにオリジナルの「いちご大福」を開発、販売を開始しました。
そして、その「いちご大福」が大層評判となり、バカ売れして大ヒット商品となったのだそうです

ウソかまことか…

この話を先日H先輩から聞くまでワタクシは全くそのことを知りませんでした。
ワタクシが何気なく持参したお土産が、そういう顛末を辿って、大ヒット商品を生み出したとは…
信じられない思いでワタクシはH先輩の話を聞いていました。

ちなみにH先輩のお母様の中でワタクシは「いちご大福を持ってきたパンツ君」として記憶されているそうです

下衆なワタクシは
「あのー、大ヒットの売り上げのおこぼれはないのでしょうか?」
とH先輩に聞き…
「ま、ないだろーね」
と一蹴されてしまいました。

20年以上を経て知らされた事実に不思議な縁を感じました。
ところで、その「いちご大福」はまだ販売されているのでしょうか?

今日はホワイトデーで甘いものをプレゼントされた方もいらっしゃるのでしょうね。
ワタクシは、なんだか福島のお菓子屋さんの作った「いちご大福」を食べてみたくなってしまいました

では、また

1983年9月28日 [記憶]

ある日、学生時代の友人Mさんからこんなメールが届きました。

私、学生時代にひもなしパンツ君(以下、パンツ君)と仲間の何人かで東京ディズニーランド(以下、TDL)に行こうとして、途中で断念した記憶があります。憶えていますか?


ワタクシ→Mさん
えっ?そんなことがあったっけ?全く憶えていません。本当にオレいましたか?他のメンバーは誰?


結婚前、TDLに何度か行った記憶はあるのですが、Mさんと行こうとしたという事実はどうしても思い当たりませんでした。

Mさん→ワタクシ
パンツ君がいたことは確か。でも、他のメンバーがどうしても思い出せないの。気になって仕方ないんだけど。パンツ君は憶えてないんだ。他の誰かに聞いてみてよ。


「憶えてないんだ」の文字間にちょっとトゲを感じたので、あまり強く否定できなかったのですが、どう考えても記憶にありません。

ワタクシ→Mさん
わかりました。今度、誰かに会ったら訊いてみます。


と返事をしたまま、ワタクシはすっかりそのことを忘れていました。
しばらくして、再びMさんからメールがありました。

Mさん→ワタクシ
昨日、捜し物をしていたら、私の昔の日記が出てきました。TDLのこと、どうしても気になっていたので、調べてみたら、なーんと、TDLの日の記述を探し当てました。


それは、1983年9月28日のこと。メンバーは男性がワタクシとT君、女性がMさん、Sさん、そして一昨年亡くなったNさん…。
ワタクシたちは車でTDLに向かいましたが、首都高で渋滞に巻き込まれ、ようやく渋滞を抜け出したところで、突然車が動かなくなってしまったのだそうです。

JAFを呼び、一応動くようになるが、すぐにまたストップ。修理を呼んで、TDLはあきらめたのでしょうね。その後、パンツ君のおうちにお邪魔して、お茶を頂いたそうな。
パンツ君のお宅を出て4人(パンツ君以外ということだよね)は夕食を食べに行って帰宅した、って。


こんなインパクトのある事件を全く忘れていただなんて…ワタクシは少なからぬショックを受けました。でも、Mさんの詳細な報告で朧げながら記憶が甦ってきました。
おそらくそのポンコツ車は当時ワタクシの家にあったダークグリーンのブルーバードUだったと思います。中古で買った車でした。ワタクシはその前年に車の免許を取得しており、きっといい気になっていたのだと思います。
TDLがオープンしたのがその年の4月。ワタクシは張り切っていたのでしょう。
しかも男2人に女3人…ワタクシにとってこんな恵まれたメンバーでTDLに行こうとしたにもかかわらず、車が動かなくなるなんて…。カッコ悪いったらありゃしない…
当時のワタクシは恥ずかしくてたまらなかったのだと思います
そして、無意識にこの屈辱的な記憶を完全に消し去ろうとする何らかの作用がワタクシの頭の中で働いたのかもしれません

Mさんが呼び起こしてくれた26年前の記憶はワタクシの心にはほろ苦いものでした。でも、今思うとなんだか微笑ましいような気もします。若気の至りというか、切ないというか・・・。
一昨年の2月にお亡くなりになったNさんもそこにいたということも、彼女に再会したような懐かしさを感じずにはいられません


早いもので、今日で2月も終わり。
明日からはいよいよ3月です。東京では昨日は雪も降りましたが、それでも春に確実に近づいていることを肌で実感できるようになってきました。
この春の記憶が皆さんにとってステキな思い出で満たされますように

では、また

オープン当時の東京ディズニーランドCM



少年パンツ [記憶]

唐突ですが、皆さんは黒豆はお好きですか?そう、甘く煮たあの黒いお豆さん。この正月、おせちの黒豆を食べながらふと思い出したことがありました。

遠い昔の子どもの頃の記憶を

episode2  黒豆事件



ひもなしパンツは3歳になった。その年の冬、パンツ少年家族3人は松江を訪れた。島根県松江はパンツ少年の祖父の故郷である。
家族3人は先祖のお墓参りと山陰旅行を兼ねて、宍道湖沿いの旅館に宿をとった。
松江は美しく静かな街である。
旅館の部屋にたたずんでいると、遠くに響くシジミ漁の船の音と湖岸に打ち寄せる水の音以外は何も聞こえてこない。

パンツ一家はそんな静かな街の小さな旅館で一泊し朝を迎えた。
朝食の準備が始まると、にわかに旅館に活気がみなぎるひと時が訪れる。料理を運ぶ女中さんの足音、宿泊客同士が交わす挨拶の声…。

宿泊客たちが朝食を食べ始めると再び静寂が訪れる。
この朝の献立の一つに「黒豆」があった。家族3人分の黒豆が一つの器に盛られていた。パンツ少年はこのとき黒豆を初めて食べたのかもしれない。その黒豆の味に魅了された。黒砂糖で味付けされたそのふくよかな甘さに。そして、ほっこりとした豆の食感に。

「おかあさん、これおいしいね」

そう言って、パンツ少年はまだ使い初めて間もない箸で黒豆を一粒一粒口に運んだ。

子どもは食事に集中しない。
食事中でも別のことに気を取られる。
いくらおいしい黒豆を食べてもそれは同じだった。ましてやパンツ少年には兄弟がいなかった。一人っ子で生存競争の厳しさを味わっていない。

パンツ少年が黒豆の器に再び目を遣ったとき、器の中には一粒の黒豆も残っていなかった。

次の瞬間、ちょっと間を置いて、この静かな旅館が震撼した。










子どもの泣き声は紙と木で建てられた純日本旅館の障子を柱を震わせて旅館中いや、松江の街中に響き渡った。

このとき、女中頭の多恵(52)は別のお客様の給仕をしていた。響き渡る子どもの泣き声を聞きつけて、「ちょっと失礼いたします」と断って廊下に飛び出した。
泣き声のする方に向かって小走りに近づいてゆくと、途中で若い女中の奈緒子(19)に出くわした。
「いったい何があったの」多恵は奈緒子に尋ねた。
奈緒子は笑いをこらえながら、
「あの、鶴の間のお客様の坊ちゃんが、黒豆を全部お母さんが食べてしまったと…」つい、堪えきれずに吹き出してしまった。
多恵は奈緒子を叱りつけた。
「何が可笑しいのです。こんな時こそ、しっかりとおもてなしをすべきでしょう。すぐに調理場に行って板さんに黒豆をたくさん盛ってもらって、鶴の間に持って行きなさい。お客様の前では笑顔でね。嗤うのとは違いますよ」
奈緒子はあわてて調理場に走って行った。
多恵はその後ろ姿を苦々しく見送っていた。
「あんなにバタバタ走って」
多恵の胸の内にちょっとだけ可笑しさがこみ上げてきた。

一方、パンツ一家のいる鶴の間は修羅場と化していた。
母、葉子は完全に動転していた、「ごめんね、お母さんが悪かった」
と息子をなだめつつも、顔から火が出るような思いであった。
「ああっ、なんてこと」



「この子、こんなに大きな声で泣いている。旅館中に聞こえちゃうじゃない。しかも『おかあさんが』なんて主語までつけて…。いったいどういう母親なんだと思われるじゃないっ。いつもはぼんやりしているこの子が、こんなにハッキリと大きな声を出すなんて…」
父親の徹はあきれた顔でただ座っているだけである。
そのとき、障子の向こうで女中さんの声がした。

「あのぅ、黒豆のお代わりをお持ちしました」

障子を開けると若い女中さんがたっぷり黒豆の入った器を持ってうやうやしくさしだした。顔には優しい笑顔をたたえている。
葉子はさらに顔を真っ赤にして器を受け取った。

「申し訳ありません、お恥ずかしい」

「いえ、ボクよかったねぇ。たくさん食べてね」

女中さんは客間の真ん中でしゃくり上げている子どもに話しかけた。

「では、失礼いたします。ごゆっくり」

再び小さな旅館に静寂が訪れた。ほんの10分ほどの出来事だったかもしれないが、葉子は一日中歩き回った以上の疲労を覚えていた。
パンツ少年は満足そうに黒豆を頬張っている。

徹がボソッと呟いた。
「とんだ黒豆事件だな。英語で言うとKuromame Incidentかアハハ」
葉子は徹を睨みつけた。



オッサンになったワタクシはおせちの黒豆を頬張りながら、そんな昔の記憶をちょっと妄想を交えながら思い出していました。
母にその時のことを話すと恥ずかしそうに「あの時は大変だった」と笑っていました。
ところで、この記憶は松江での出来事だとずっと思い込んでいましたが、実際には京都の旅館での出来事だったそうです。「すみや」という旅館の名前を母が憶えていました。
でも、ワタクシの中では松江の静かなたたずまいの中での事件として記憶に残っていましたので、この記事の中では舞台は松江のままにしておきました。

人間の記憶なんてあやふやなものですね
とりとめの無い長い記憶と妄想にお付き合い頂いてありがとうございました。

それでは、また

カツレツ [記憶]

昨日のランチにワタクシは「ロースカツ定食」を食べました
揚げたてのロースカツを熱く熱した黒い鉄皿の上に乗せ、軽い焦げ目をつけたロースカツ。
アツアツのロースカツを口に含むと、香ばしいコロモの食感と同時に肉汁が口の中にほとばしります。
夢中になってロースカツを頬張っていたら、ふとワタクシの遠い記憶が甦りました。忘れかけていた子どもの頃の記憶が…



あれは、ワタクシが小学生の高学年くらいのときのことだったと思います。

父はワタクシたちが普段「とんかつ」とか「ロースカツ」とか言っている料理を「カツレツ」と呼んでいました。料理分類上「とんかつ」や「ロースカツ」と「カツレツ」は同じモノなのか、別モノなのかに関する知識をワタクシは持ち合わせておりません。
とにかく、父は豚肉のロースにコロモをつけて揚げたものを「カツレツ」と呼んでいました。
父はカツレツが大好物です。

その日の我が家の晩ご飯はカツレツでした。
キツネ色に揚がったカツレツをナイフで丁寧に切り揃え、醤油をかけておもむろに食べ始める。これが父の流儀です。
恐らく、父にとっては至福のひとときであったに相違ありません。

しかし、この至福の食卓で、父とワタクシは口論を始めました。
いったい何が口論のテーマだったのかは憶えていません。とにかく、ワタクシはそのとき、感情的になっていました。
いつものように父がカツレツを食べやすい大きさに切り揃えたところで、ワタクシは癇癪を起こし、やおら父の皿の上のカツレツを手で掴むと、食卓の上に叩き付けたのです。
父のカツレツは無惨にも食卓の上にバラバラに散らばり、コロモがめくれて白いロース肉がむき出しになりました。

そのとき父は、親に対する息子の非礼を咎めるでもなく、食べ物を粗末に扱ったことを叱るでもなく、憮然として、そして悲しげな表情でこう言ったのです。

「せっかく切ったのに」

ワタクシはその悲しげな父の表情を見て、大いに反省しました。
自分はなんと酷いことをしてしまったのだろう、そして、なんという気の毒なことをしたのだろう、と。



昨日、熱々の「ロースカツ定食」を食べながら、ワタクシの胸にその時の心の痛みが甦ってきたのです。
同時に、無惨に食卓の上に散らばったカツレツの切れ端や、父の悲しげな表情の映像をハッキリと思い出しました。

あのとき、父のカツレツを鷲掴みにして放り投げた後、ワタクシは父にちゃんと謝ったのでしょうか。ちょっと気になります。
残念ながらワタクシの頭の中で、その辺の記憶は、フッツリと途切れています


ちなみに、ワタクシもカツレツが大好きです
では、

少年パンツ [記憶]

episode1 青いビニール袋



夕方、子供たちが列を作って幼稚園の門に向って歩いてくる。
門の外には迎えに来た子供たちの父母が待ち構えている。

葉子(仮名:33歳)は自分の息子の姿を認めてホッとした。今日も無事だったようだ。
列の前の方に目をやると、息子の仲良しのKちゃんが、青いビニール袋を右手にぶら下げていた。

「やったわね」

葉子の口から笑みがこぼれる。
青いビニール袋は「オモラシ」の象徴だ。
園児が幼稚園にいる間にオモラシをすると、先生が新しいパンツを履かせてくれる。汚れたパンツは小さな青いビニール袋に入れて返還される。

だから、帰りの園児たちの列に青いビニール袋を持った子がいたら、その子はオモラシをしたということになる。

Kちゃんは葉子の見るところ、青いビニール袋を持たされる常連さんだ。
「Kちゃんのお母さんも大変だわ」そう思った次の瞬間にまた頬が緩んでしまう。

「ウチの息子は大丈夫だろうか」
自分に身を置き換えて考えると、不安がよぎる。
実を言うと、息子もだいぶシモの方がユルい子供である。幼稚園に入ってからもオネショをしばしばするし、家でオモラシをしたこともある。

幼稚園の門から出て来た息子が、葉子のもとに駈けてくる。
「おかあさん、今日ね…」





翌日、葉子は同じように幼稚園の門の前に立った。
今日は殊の外冷える。念のために息子のセーターを持って来た。
園児たちの列がこちらに向って歩いて来た。



そして、



葉子は見た。



息子が青いビニール袋を左手に下げているのを…



「ああっ、なんということ…


顔から火が出る程、恥ずかしくなった。
他の父母たちは、囁きあっているに違いない。

「今日はひもなしパンツちゃんだわ」
「あら、ホント」

おまけに息子は隣の子供にTVのコメディアンがやるようなおどけた仕草をして笑わせている。
何たる反省の無さだ

今日ウチに帰ったら、とことん説教せねばなるまい…
息子が門から出て来た。
そして、笑顔でこう言った。

「あのね、おかあさん、今日ねオモラシしちゃった」



先日の忘年会の帰り、電車の中でもようした下腹部の張りに耐えながら、幼少のときのそんな思い出が甦りました。
目的の駅まで後10分程。そしたら、トイレに駆け込もう。
青いビニール袋はもう誰も用意してくれないのだから。

なんとも、お恥ずかしいハナシでした…では、また

注)多少、妄想が混入されています。ご注意下さい

遭遇コレクション [記憶]

ワタクシは見かけによらず、ミーハーです。
特に、街角で有名人とかに偶然遭遇すると、得したような気分になって、その事を周囲の人たちに自慢します

先日も東京駅を歩いていたら、映画監督の井筒さんに遭遇。ややむっとした表情で一人で歩いていましたが、TVで観るあの井筒監督に間違いありません
すれ違った後で、一緒に歩いていた職場の同僚に

ひも「ね今の、井筒監督だよね

同僚「えーっ?そーすかぁ?気付きませんでしたよ」

街をボンヤリ歩いているとこの同僚のように損をするのです



では、ワタクシがこれまで遭遇した有名人の方々のコレクションをご紹介しましょう。
敬称略でございます。

アニマル&ブーマー(プロ野球選手)
当時の阪急ブレーブスに所属していた超個性派選手。高校生時代のワタクシが、西武線の電車内で遭遇。
彼らの体のデカさに唖然。傍若無人な態度に呆然。

比企理恵(アイドル)
アイドルといっても、ワタクシが大学生の頃の話。彼女の事を知っている方は少ないかもしれません。
友人と遊びに行ったよみうりランドで遭遇。
「写真一緒に撮ってもらえませんか?」とお願いしたら、快諾してくれました
いい人です

加藤茶&西城秀樹(コメディアン&歌手)
’88年か89年頃だったと思います。東京、芝のゴルフ練習場で遭遇。仲良く二人で練習されていました。

宮崎 萬純(女優)
’92年頃だったかな??友人の結婚披露宴会場で同じ招待客として遭遇。着飾ったあまりの美しさに浮きまくり。周囲の視線釘付け

田嶋幸三(元日本代表サッカー選手、サッカー協会専務理事)
仕事でサッカー協会に行ったら、打ち合わせ相手として遭遇。高い理想をもったナイスガイだと思いました。
ただし、このときワタクシはそんな著名人だとは全く知りませんでしたが

ブッフバルト(元浦和レッズ選手)
トヨタカップを観戦に行ったら、浦和レッズの選手時代の彼がワタクシのすぐ後ろの席に着席。驚きの接近遭遇サインして頂いた上に握手まで
いい人です

山下 真司(俳優)
とあるスポーツ施設の風呂場で遭遇。世間広しといえど、彼の裸体をナマで見た人間は少ないのではないかと思います

三国連太郎(俳優)
近所のスーパーの入り口で遭遇。なんかもの凄いオーラを発散してました。

奥菜恵(女優)
今年の春、ワタクシがジョギング中に東宝スタジオ近くでロケ中の奥菜さんに遭遇。やっぱり美しいですね。
以前記事に書いたこともありました。

市川崑(ワタクシが敬愛する映画監督)
同じく、今年の春、東宝スタジオから出て来た車椅子姿の市川崑さんに遭遇。この後、「犬神家の一族」のリメイクが公開されました。市川さんの創作意欲はスゴいですね


まだ、他にも遭遇コレクションあるんですが、長くなるので、これくらいにしておきます。
皆さんも、きっと印象に残る「遭遇」あるんでしょうね。
では…また

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